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新型コロナウイルスで脚光を浴びる「VHH抗体」とは?

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こんにちは! バイオニアです。

 

本日は、新型コロナウイルスの感染抑制能を持つ抗体の開発により話題となった、「VHH抗体」について紹介していきます。

 

私も大学院生時代に、新規VHHの探索研究に携わった経験がありますが、まさかTwitterのトレンドにVHH抗体がランクインする日が来るとは夢にも思っていませんでした(思わずスクショを撮ってしまいました笑)。

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2020/5/8のTwitterのトレンド

 

 VHHについての理解を深めるためにまず、「抗体の構造」と「低分子抗体」について、説明させて下さい。(既にご存知の方は読み飛ばしてください。)

 私がブログを書いている目的の一つは、生物のバックグラウンドのない一般の方にも、興味深い生命科学の技術・情報を伝えることなので、初学者にも分かりやすいような説明を心がけました。分からなかったところなども、コメント頂けますと嬉しいです。

 

目次

 

 

抗体の機能と構造

 生体は、内部に侵入した異物を捕らえ、自己と非自己を認識し、非自己を生体外へ排出する「免疫」機構を備えています。抗体は、この免疫機構の中枢を担っており、抗原に対して特異的に結合するタンパク質です。

抗体は免疫グロブリン(Immunoglobulin:Ig)と呼ばれ、IgGをはじめとするIgA 、IgD 、IgE 、IgMの5つのクラスに分類されています。その中でも、抗体医薬品としても用いられるIgGの構造を下図に示します。

 

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IgGの構造と各部位の名称

 

 いずれのクラスの抗体も、基本構造として重鎖(Heavy chain:H鎖)及び軽鎖(Light chain:L鎖)からなり、2本のH鎖とL鎖がジスルフィド結合や非共有結合により構成されてY字型の構造を取っています。

 この中でも、各鎖のN末端側(Y字の二股に分かれた先の部分)はアミノ酸配列の類似性が低いため、可変領域(Fragment of variable region:Fv)と呼ばれます。可変領域(Fv)は重鎖と軽鎖それぞれに存在し、それぞれVH、VLと言います。

このVH, VLは、相補性決定領域(Complementarity Determining Region:CDR)と呼ばれるそれぞれ3ヶ所のループ部分を有し、CDRのアミノ酸配列の違いにより、多種多様な標的分子への特異性を創出しています。

 

抑えるべきポイント:

・抗体は免疫機能の中枢を担うタンパク質。

・標的分子への結合に関与するのは、Fvと呼ばれる領域。

 

結合ドメインに着目した抗体の低分子化技術

 抗体をがんや難治性感染症などの分子標的治療薬として利用する際には、腫瘍への浸透性を高めるために、低分子化が望まれることがあります。また、PETイメージングや薬物送達システム(Drug Delivery System:DDS)への応用では、抗体の標的分子に対する高特異性、高親和性という特徴のみが求められ、時には速いクリアランスが必要な場合もあります。 

 そのため、プロテアーゼを用いて抗原結合性断片(Fragment antigen binding:Fab)やF(ab’)2を作製する技術や、最小単位であるFvやFvをペプチドリンカーで繋いだ一本鎖Fv(single-chain Fv:scFv)などの低分子化設計が提案されてきました。

 下図に、開発されている主な低分子化抗体と、細胞間隙経路のサイズを示します。

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抗体の各種フォーマットと、細胞間隙経路のサイズ

 

 scFvのサイズは約3.5 nmであり、IgGの15 nmと比較して小さいです。これは、毛細血管及びリンパ管から吸収される大きさであり、腫瘍の深部まで浸透することが可能です。一方で、*腎糸球体によるろ過を受けるサイズであるため、クリアランスが早い特徴があります。

 

*腎糸球体ろ過

腎臓は、血液中の老廃物や塩分をろ過し、尿として体外に排出する働きがあります。この働きをしているのが糸球体であり、細い毛細血管が毛糸の球のように丸まっています。糸球体はふるいのような役割を持ち、腎臓に流れ込んできた血液が糸球体を通ると老廃物がろ過されます。そして赤血球や高分子量のタンパク質等はろ過されず、きれいになった血液が腎臓から出ていきます。

 

 腎糸球体基底膜の影響により、IgG型の抗体はろ過されにくいため生体内半減期が長く、低分子抗体はろ過されるため半減期が短いです。半減期を長期化するために、低分子抗体のPEG化やFcRn結合性の付与設計などが試みられています

 

VHH抗体の構造と機能

 上述のように、通常脊椎動物が持つ抗体は、重鎖と軽鎖がジスルフィド結合や非共有結合を持つことで構造を形成しています。

 しかし、1993年に初めて報告されたラクダ抗体は、重鎖のみから形成され、さらに重鎖定常領域であるCH1ドメインを持たない抗体でした。(ラクダが有する抗体のすべてが重鎖抗体で構成される訳では無く、他の脊椎動物と同じように軽鎖を有する抗体も存在しており、アルパカでは約50%が重鎖抗体であると報告されています。)

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重鎖抗体の構造とVHH

この中でも、実際に応用を目指して検討が進んでいるのは重鎖抗体の可変領域であるVHH(Variable domain of Heavy chain of Heavy chain antibodyの略)抗体です。シングルドメインで標的分子に結合する低分子抗体であり、以下のような長所を有することが分かっています。

 

(1)構造安定性が高く、熱変性や凝集が少ない

(2)変異導入に対して高い寛容性がある

(3)シングルドメインであるためにエンジニアリングが容易

(4)安価に大量生産が可能

(5)動物免疫を利用して、親和性向上の起点となる分子を取得可能

 

 その他、基本特許が2013年に失効していることも、研究を後押しする一因となっています。

 また、VHH抗体を語るうえで切っても切り離せないのがAblynx社です。この会社はVHH抗体の基本特許使用権を有していましたが、2018年にフランスのメガファーマであるSanofi社が、約5300億円で買収しています。このことは、VHH抗体の将来性を物語っています。

 

VHH医薬の上市状況

 VHH抗体医薬の上市状況を下表にまとめました。シングルドメイン単独ではなく、HSA(ヒト血清アルブミン) に結合するVHHの連結やPEG化によって、体内での動態を良くしようと設計しているようです。

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VHH抗体医薬の開発状況[Drug Discov Today 21, 1076–1113(2016)およびMEDCHEM NEWS 27(1)35-41(2017)をもとに、筆者が一部更新(2020/5/9)。]

 

 2019年には、Ablynx社(現Sanofi)から後天性血栓性血小板減少症の治療薬であるカプラシズマブが上市されました。VHH抗体の初の承認例ということで、今後の薬物動態が気になるところです。

 国内企業の大正製薬においても、抗TNFα抗体オゾラリズマブを開発中です。2015年にAblynx社から開発権を導入し、Phase3の臨床試験を実施中です。期待が高まる一方で、抗TNFα抗体は既に上市されており(田辺三菱製薬のレミケード)、これに勝る効能を持つことが出来るかがポイントになってくるかと思います。

 その他、メルクやノバルティスなどのメガファーマもVHH抗体の開発に参入していることから、注目度の高さが伺える一方で、多くがPhase IIIに達せずに開発中止となっていることも分かります。VHHに限らず、Phase IIIに到達して医薬品承認を受けることは非常に難しいことですが、開発中止となっている原因をしっかりと特定し、対策を講じていくことが今後のVHH開発に必要となるでしょう。私も動向を追っていきたいと感じています。

 

新型コロナウイルスに対するVHH抗体

日本での報告

 2020年5月7日には、北里大学、Epsilon Molecular Engineering(EME)、花王が新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に対して感染抑制能(中和能)を有する VHH抗体の取得に成功したとの発表がありました(https://www.kitasato-u.ac.jp/jp/index.html)。プレスリリースの要点は以下の通りです。

  1. EMEが有するVHH抗体のスクリーニング技術(cDNAディスプレイ)の提供を受けて、花王にて新型コロナウイルスのスパイクタンパク質を標的に用いたスクリーニングを行い、候補となるVHH抗体を取得。
  2. 取得したVHH抗体を生産して標的分子への結合能を評価したところ、結合が見られた
  3. 北里大学にて、新型コロナウイルスを用いて候補VHH抗体の感染抑制能を評価。取得したVHH抗体は新型コロナウイルスに結合するだけでなく、感染抑制能を有することが分かった

 

抗体のスクリーニング技術って何?と感じた方は、こちらの記事も併せてご覧ください。

www.bioneer-blog.com

 

 私が着目したのは、上記の3の項目です。ライブラリー法による抗体のスクリーニングにおいては、標的に結合するだけで薬効を持たない場合が多々あります。今回の共同研究で取得されたVHH抗体は、感染抑制能を有することから、診断薬のみならず医薬品としての応用を期待することができます。

 スパイクタンパク質のうち、感染に寄与する領域を意図して狙うようにスクリーニングを行ったのか、偶然良いVHH抗体が取得できたのかは読み取れませんが、新型コロナウイルスの拡大から2-3か月でここまで評価できているスピード感は素晴らしいと感じます(もしも感染抑制を狙ってVHH抗体を取得しているなら、なお素晴らしい)。

 

海外での報告

 その一方で、世界に目を向けると、5月5日のCell誌にて既に、VHH抗体の取得とメカニズム解析の論文が報告されています。

(https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0092867420304943)

 コロナウイルスのスパイクタンパク質を認識するVHH抗体を、ラマの免疫を利用して35日間で取得後、結晶解析及び感染メカニズムの考察までやっています。

 論文は、発行される前に、科学的に正しいか評価する「査読」というプロセスがあります。5月5日に論文が発表された訳ですが、査読のために論文が受理されたのが、なんと3月25日です。一般に、動物免疫と、タンパク質の結晶解析は時間を要する実験であるにもかかわらず、これだけのスピード感を持って研究できているのを見ると、世界のトップラボはやはり一つレベルが違うなあと思います。

 

 

まとめ

 今回は、VHH抗体の構造の特徴や開発状況について記載した後、新型コロナウイルスに対するVHH抗体の取得状況を、所感を交えて説明しました。VHH抗体の開発は発展段階にあり、体内動態に関する知見が今後集まり、抗体のドメインエンジニアリングによる新規薬剤開発につながっていくと思います。

 私個人としては、VHH抗体は診断薬としての利用に適するのではないかと感じています。記事内に書いた通り、VHH抗体は構造安定性が高く、また、生産量が多く安価であるため、診断薬の検査素子としての重要要素をクリアしているためです。

 日本の製薬企業やアカデミアでも、VHH抗体の研究は活発に行われていますので、今後も目を離さず動向を追っていきたいところです。